ルパン三世の作者モンキー・パンチの由来や本名は?年収や息子も気になる

モンキー・パンチ

アニメ、ルパン三世の作者『モンキー・パンチ』さんが、2019年4月11日のお亡くなりになりました。

 

モンキー・パンチさんの本名も気になりますが、モンキー・パンチという名前の由来も気になりますね。

 

また、モンキー・パンチさんが活躍されていたころの年収や息子さんもいらっしゃるとのことで、そちらの方も調べてみる事にしました。

 

今回は、ルパン三世の生みの親、『モンキー・パンチ』さんについて見ていこうと思います。

モンキー・パンチの由来

モンキー・パンチと名乗るようになったのは、1966年のこと。

当時所属していた『双葉社』の清水文人編集長の命令により、『モンキー・パンチ』と改名された事がきっかけのようです。

 

で、なんでモンキー・パンチなのか?

 

調べ見ると、清水編集長が適当に付けたそうで、どうやら当の本人(モンキー・パンチさん自身)は気に入っておらず、1年で変えようと思っていたそうです。

で、モンキー・パンチと言うペンネームは、加藤一彦さんと弟の輝彦さんの合作ペンネームとして使われようとしていたんです。

しかし、弟の輝彦さんは「モンキー・パンチ」作品にはアシスタントでしか関わっていなかった見たいです。

 

モンキー・パンチの由来は、適当に付けられた名前で、最初は弟さんとの合作ペンネームが目的だったということです。

 

ところが、モンキー・パンチと、改名した翌年に『漫画アクション』1967年8月10日号(創刊号)に連載されるようになった事がきっかけで大ヒット!

一度、こうした大ヒットを飛ばしてしまうと、この『モンキー・パンチ』って売れる漫画だったんじゃ・・・

って思ってしまい、その後は中々変える気になれなかったのかもしれませんね。

 

きっかけは、双葉社の清水編集長の命令だったらか仕方なかったんでしょうけど、結果的に有名になったし、世間に馴染んだと思います。

ただ、1966年ごろだったら、こう言いた横文字の名前ってあまりピント来なかったでしょうね。

 

清水編集長は他の新人さんにも適当に考えた名前と名乗らせていたようです。

それも、横文字を盛り込んだもの。

 

『バロン吉元』さんや『ケン月影』さんの清水編集長からの命令だったようで、清水編集長は英語を意識した名前がもしかしたらマイブームのようになっていたのか、もしくは時代を先読みしていたのかもしれませんね。

モンキー・パンチさんや本名は?

モンキー・パンチさんの本名は、『加藤一彦』(かとうかずひこ)さんと言われます。

ルパン三世を書いた人が、モンキー・パンチって言う人だってことは知っていたけど、本名とは全く繋がりがなかったとは・・・

 

由来が編集長の適当な発想だったわけですが、今では、自然とモンキー・パンチって名前が染み付いてましすね。

モンキー・パンチさんの本名が加藤一彦さんってことも、由来の事も、今回調べて始めて知りましたけど、もしかしたら外国の人じゃなかって子どもの時は思っていました。

モンキー・パンチさんの年収ってどのくらい?

モンキー・パンチさんといえばルパン三世。

日本人で知らない人はいないほど有名ですから、年収も相当なものだろうと思いましたので、調べてみました。

 

が、モンキー・パンチさんの年収は公表されていないんです。

 

ところが、ネットで調ていると、モンキー・パンチさんくらいのマンガ家だと、年収は数億はあるだろうとも言われています。

ちなみに、ONE PIECEで知られる、尾田栄一郎さんは31億だとも言われていました。

マンガだけじゃなくて、いろんなグッズなどを販売して得る収入も含まれるのだと思いますから、グッズの種類で考えると、モンキー・パンチさんの年収は、尾田栄一郎さんほどではないかもしれませんね。

モンキー・パンチさんは息子さんがいるらしい?

モンキー・パンチさんには、2人の子供さんがいることは間違いないようです。

 

 

ルパン三世の制作などの携わってる、次男の加藤州平さんはお父さんが代表を務める「エム・ピー・ピクチャーズ」の関連会社でお仕事をされてるようです。

まとめ

 

今回は、ルパン三世の作者モンキー・パンチさんの名前の由来や本名。そして、年収や息子さんについてみてきました。

 

今回の内容をまとめておきます。

 

  • モンキー・パンチさんの名前の由来は、1966年に清水編集長が適当につけた名前だった。
  • モンキー・パンチさんの本名は、「加藤一彦」さん
  • モンキー・パンチさんの年収は公表されていないが、数億はあるだろうと言われてる
  • モンキー・パンチさんは、2人の息子さんがいる。

 

今回の内容は以上です。

また1人平成の終わりと共に、昭和からご活躍をされた方がこの世をさってしまったことは、とても残念です。

モンキー・パンチこと「加藤一彦」さんのご冥福をお祈りします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください