2017年1月3日に放送されます「消えた天才 一流アスリートが勝てなかった人大追跡SP」で、野球界のレジェンドとして知られる野村克也さんが、25年間抱え続けた後悔と謝罪を潰した相手伊藤智仁さんに、するとようです。

果たして野村克也さんは、伊藤智仁さにに対して、土下座までして謝罪を行いうのでしょうか。

 

そして、現在野伊藤智仁さんの仕事や年俸の推移などについても見てきたいと思います。

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消えた天才伊藤智仁とは

伊藤智仁さんは、1992年のドラフト会議で、ヤクルトに入団しました。

 

伊藤智仁さんは、1年目から大活躍をして、スライダーが、凄いと言われて、一躍スターとなってのですが、その後右肘の靭帯を損傷して、、姿を消した天才と呼ばれる選手だったのです。

伊藤智仁さんが、痛めていたのは、肘だけではありませんでした。

 

同じ時期に、肩も痛めていて、手術をなんども繰り返しますが、怪我は完治せず・・・

 

そのまま2003年に、引退と言う道に追い込まれてしましました。

 

伊藤智仁さんは、もう一度マウンドに立つ為に、一生懸命にリハビリを行ってきましたが、医師からは、命に関わるとまで言われていたそうです。

 

なぜ、伊藤智仁さんは、命に関わるまでの怪我を負ってしまたのでしょうか!

 

伊藤智仁さんをここまで追い込んだのが、今回「消えた天才 一流アスリートが勝てなかった人大追跡SP」の放送で明らかにされます。

 

そして、野村克也さんが、土下座までして謝罪をするのではないかと思われるところです。

野村克也は土下座で謝罪?

野村克也さんは、伊藤智仁さんに対して土下座をしてまで、謝罪をするのでしょうか!

 

もし、野村克也さんが、土下座までする必要があるとしたらその理由はかなり深刻なものでしょう。

 

その問題は、1992年のドラフト会議からの経緯があります。

野村克也さんとスカウト側の大喧嘩!

1992年は、どの球団も松井秀喜選手に注目をしておりヤクルトも例外ではなかったわけです。

 

野村克也さんと、スカウト陣側では、松井選手を指名することで、方針は固まっていたのですが、なんと野村克也さなが、直前になり伊藤智仁さんを推薦!

 

それに怒ったスカウト陣と、野村克也さんは、大喧嘩となったわけですが、その場はなんとか収まり結局ヤクルトは、伊藤智仁さんを指名しました。

 

この時、当初の予定通りに、伊藤智仁さんではなく、松井秀喜選手を指名しておけば、伊藤智仁さんが、怪我で苦しみ引退へ追い込まれることは、なかったはず・・・

 

まず、ドラフト会議で、野村克也さんがとった行動が、その後の伊藤智仁さの選手生命を変えるきっかとなったのです。

伊藤智仁を使い過ぎた事が原因

伊藤智仁さんは、野村克也さんの期待へ答える為に、1年目にも関わらず大活躍を見せます。

 

先発投手として、わずか2ヶ月半の間に7勝をあげます。

 

そして、セ・リーグの三振記録も塗り替えてしまうほどの活躍ぶりを見せていました。この時の防御率0.91!

 

しかし、7月に行われた巨人との対戦で、右肘の靭帯を損傷してしまいます。これが、不幸の始まりです。

 

伊藤智仁さんが、靭帯を損傷してしまうと球団関係者は、ある程度予測をしてたようです。

 

なんといっても、伊藤智仁さんが2ヶ月間で投げた投球数は、1733球

これは、現在の先発投手の平均1200球を、遥かに上回る数!

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しかし、野村克也さんは、球団の関係者の意見を聞かずに、伊藤智仁さんを使い続けた結果、選手生命を大きく左右する靭帯損傷と言う怪我に追い込んでしまったのです。

 

伊藤智仁さんが、怪我をした時には、批判も多くあったそうです。

これが、25年間野村克也さんが、伊藤智仁さに対して、抱えてきた後悔であり、今回謝罪をする内容です。

 

ファンの方は、「土下座し謝るべきだ!」と言う方もいるかもしれませんが、伊藤智仁さんは、「野村克也さんの事を恨んでないしむしろチャンスをもらえたしいつも目にかけてくれてた」と以前インタービュー語っていました。

 

伊藤智仁さんの現在の仕事

伊藤智仁さんは、2017年12月1日現在の情報によると、来シーズンよりベースボール・チャレンジ・リーグの富山GRNサンダーバーズ監督に、就任することが決まっています。

 

怪我が原因で引退した翌年から、ヤクルトの2軍投手コーチをされ2008年には、1軍のコーチにそして、2014年には、高津さんと共に指導を行い、2015年には、14年ぶりにチームのリーグ優勝に貢献したひとりでもあります。

 

伊藤智仁さんは、現在決まってる富山GRNサンダーバーズは、富山県のプロ野球チームではあるもの独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグに所属となります。

 

国内では、女子リーグを含めると4つのチームしかありませんので、伊藤智仁さんが、現役のころに得ていら年俸からは、相当な開きがでるものともわれます。

伊藤智仁さんの年俸推移

伊藤智仁さんの、年俸の推移について見ていきましょう。

  • 1992年 「22歳」 契約金1億2000万円  「ヤクルトスワローズ」
  • 1993年 「23歳」 1200万円 7勝2杯  防御率0.91
  • 1994年 「24歳」 3000万円 一軍出場なし
  • 1995年 「25歳」 2400万円 一軍出場なし
  • 1996年 「26歳」 1800万円 1勝2杯3S 防御率5.40
  • 1997年 「27歳」 1900万円 7勝2杯19S防御率1.51
  • 1998年 「28歳」 5760万円 6勝11杯3S防御率2.72
  • 1999年 「29歳」 8800万円 8勝3杯   防御率2.28
  • 2000年 「30歳」 9300万円 8勝7杯   防御率3.14
  • 2001年 「31歳」 9000万円 0勝0杯   防御率0.00
  • 2002年 「32歳」 8000万円 右肩亜脱臼しリハビリ
  • 2003年 「33歳」 1000万円 球団引退勧告で現役引退

こうして伊藤智仁さんの現役時代に年俸の推移をみてみると、1992年の契約金意外で1億円を超えたことってなかったのですね!

近年では、億超えのの選手も多く見かけるようになりましたが・・・

そして、伊藤智仁さんのコーチ時代の年俸の推移は、2軍コーチの時には、1,100万円程度で、2008年から1軍コーチに就任しても1,200万円~1,500万円あたりを推移していますので、現役選手との違いは大きい事がわかります。

 

そして、2018年から監督して就任される富山GRNサンダーバーズでの、年俸はどうなるんでしょうか

 

独自リーグでの、チーム運営費は、どの球団のそれほど開きはないようです。

 

NPBと比べると、スター選手級の年俸の1人分で、まかなう事が出来るようです。

 

以前、富山GRNサンダーバーズに入団した、元巨人のタフィー・ローズ選手の時は、月収40万円とも言われています。最低保障が、100万円といわれていますので、伊藤智仁さんが、務める監督クラスのは、そのくらいじゃないかなと思われます。

まとめ

今回は、「消えた天才  一流アスリートが勝てなかった人大追跡SP」の番組ないで、伊藤智仁さんに対して、謝罪をされる野村克也さんは、土下座してしまうのでしょうか!

 

また、伊藤智仁さんの現在の仕事や年俸推移などについても見てまいりましたが、現役とは違って支える側に回ると、年俸というのは、相当下がってしまうことに驚きました。

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